東京バレエ団によるピエール・ラコット版『ラ・シルフィード』が、5年ぶりに再演された。フィリッポ・タリオーニ原案を忠実に甦らせたラコット版は、日本では東京バレエ団のみが上演を許されており、古典の伝承という点でも貴重な機会となった。ロマンティック・バレエの象徴ともいえる本作は、幻想と現実、愛と運命のはざまで揺れる青年ジェイムズと妖精ラ・シルフィードの悲恋を描く。

Photo:Shoko Matsuhashi
初日、ラ・シルフィードを踊ったのは沖香菜子。透明感と繊細さに加え、前回よりも一層情熱を帯びた表現で観客を魅了した。沖のラ・シルフィードは、無邪気でありながらも危うさが漂い、“人ではない存在”としての説得力があった。ふと舞うたびに空気が震えるような軽やかさと、指先にまで宿る意志が、ジェイムズを――そして観客を――幻想の森へと誘った。

Photo:Shoko Matsuhashi
ジェイムズ役を演じたのは、東京バレエ団プリンシパルの宮川新大。2004年にドイツの名門ジョン・クランコ・バレエ学校へ留学。その後、ロシアやニュージーランドのバレエ団を経て2018年から東京バレエ団プリンシパルとして活躍。2021年には文化庁芸術祭賞舞踊部門新人賞を受賞し、2025年には福井新聞文化賞も受賞した。

Photo:Shoko Matsuhashi
ジェイムズ役の宮川新大による第1幕のアントルシャ・シス(跳躍)の美しさには客席からため息がもれ、後半にかけて感情を爆発させるヴァリエーションでは圧倒的な集中力を見せた。婚約者エフィー(三雲友里加)との関係性も細やかで、幸福と破滅の境界を行き来する青年像が立体的に描かれた。終幕に向けて、愛と執着のはざまで揺れる宮川の表情には、ジェイムズの哀しみそのものが滲んでいた。

Photo:Shoko Matsuhashi
柄本弾演じる魔女マッジは、物語を暗転させる鍵となる存在。狂気と予言者的威厳を兼ね備え、舞台に重厚な陰影を与えた。

Photo:Shoko Matsuhashi
村人たちの祝宴の場面では、樋口祐輝(ガーン)や池本祥真ら男性陣の活気ある踊りが作品に生命力を吹き込み、舞台全体のエネルギーを高めていた。なかでも池本の切れ味鋭いターンと軽やかな跳躍は、音楽のリズムを精密に捉えながら空気を一瞬で華やがせる存在感を放っていた。
第2幕では、森に棲む妖精たちの群舞が圧巻だった。東京バレエ団が世界に誇る「白のバレエ」の精度が遺憾なく発揮された。寸分の狂いもない扇形のフォーメーションは、まるで一枚の絵画のような美しさ。広大な舞台の中で、どの瞬間にも秩序と調和が息づいており、個々の動きが溶け合い、一糸乱れぬラインが森の静寂を可視化するようだった。

Photo:Shoko Matsuhashi
伝田陽美、二瓶加奈子、政本絵美による3人のシルフィードも、軽やかで透明な空気感を舞台に満たした。ピエール・ラコット振付による版は、1832年のフィリッポ・タリオーニ原案を忠実に再構築したもの。19世紀ロマン主義の詩情とともに、後世の洗練されたテクニックが融合している。
ラストシーン、ラ・シルフィードが羽を失い、ジェイムズの腕の中で息絶える瞬間。舞台に漂う静寂は、200年を経た今も変わらないかのよう。観客の胸に残ったのは、愛と儚さの美。ロマンティック・バレエの原点を新たに照らし出した。
■東京バレエ団「ラ・シルフィード」
日時:2025年11月2日(日)
会場:東京文化会館
振付:ピエール・ラコット(フィリッポ・タリオーニ原案による)
台本:アドルフ・ヌーリ
音楽:ジャン=マドレーヌ・シュナイツオーファー(第1幕パ・ド・トロワはマウラー作曲『オンブル』より抜粋)
美術:マリ=クレール・ミュッソン(ピエール・シセリ版による)
衣裳:ミッシェル・フレネ(ウージェーヌ・ラミ版による)
衣裳製作(ジェイムズ、シルフィードたち):ステージ・デコール(マルガリータ・モルチャノワ)
ラ・シルフィード:沖香菜子
ジェイムズ:宮川新大
エフィー:三雲友里加
ガーン(ジェイムズの友人):樋口祐輝
マッジ(魔法使い):柄本 弾
アンナ(ジェイムズの母):奈良春夏
【第1幕】
パ・ド・ドゥ:中川美雪 ― 池本祥真
【第2幕】
3人のシルフィード:伝田陽美、二瓶加奈子、政本絵美
ほか 東京バレエ団
指揮:アントン・グリシャニン
演奏:シアター オーケストラ トウキョウ
協力:東京バレエ学校


