【公演レポ】東京バレエ団、三島由紀夫の魂が舞う『M』を上演!

2025年9月23日、モーリス・ベジャール(Maurice Béjart)振付による東京バレエ団『M』を鑑賞した。本作は1993年に東京バレエ団のために創作され、三島由紀夫(本名:平岡公威 ひらおか・きみたけ 1925年1月14日生まれ)の文学と人生を題材にしたバレエ。三島の生誕100年という節目に合わせた再演で、5年ぶりの上演となった。

タイトルの「M」は、三島由紀夫(Mishima)、海(Mer)、変容(Métamorphose)、死(Mort)、神秘(Mystère)、神話(Mythologie)など、三島の人生や作風を象徴する複数の “M” の意味が込められている。

ベジャールが描いた「三島という宇宙」


photo by Shoko Matsuhashi

『M』はタイトルの「M」が示すように、Mishima=三島由紀夫を多角的に描き出す作品だ。ベジャールは、三島の文学・思想・生と死を、まるで抽象画のように象徴的かつ情感豊かに舞台に投影する。

作中には『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『鹿鳴館』『午後の曳航』『禁色』『仮面の告白』『豊饒の海』など、三島文学を想起させるイメージが随所に散りばめられている。舞台上でそれらの断片が一つの有機体のように結晶化し、文学がバレエという別の芸術言語へと姿を変えて観客に訴えかけてくる。三島作品の強さと濃密さは、静かに忍び寄る思想であると同時に、鋭利な身体の運動として突きつけられる。

四人の「三島」が踊る人生の軌跡


photo by Shoko Matsuhashi

作品は「イチ(言葉)=柄本弾」「ニ(精神)=宮川新大」「サン(肉体)=生方隆之介」「シ(死・行動)=池本祥真」という、4人のダンサーによって三島の内面を四分割するという構造を取っている。これは三島自身が『鏡子の家』で語った「4人の主人公によって自分の異なる面を表現したい」という発想に基づくものであり、ベジャールがそれをダンスで実現した。

柄本弾(言葉)の動きは鋭く、節度があり、時折詩を紡ぐように繊細だ。手先の動きにまで言語的な秩序が宿っており、知性の輪郭が身体に現れていた。宮川新大(精神)は静謐な旋回、緩やかな重心移動、ためらいと瞑想のような間を大切にした動きで、観る者を内面へと引き込む。沈黙と対話のあいだにあるような身体。

生方隆之介(肉体)は跳躍と回転の精度、そして地を蹴る力強さに満ちていた。汗ばむ筋肉が、三島の“鍛えられた肉体への執着”を生々しく照射し、バレエという形式にありながら武道の気迫すら感じさせた。池本祥真(死・行動)の踊りは、その中心に「落下」と「断絶」があった。空中で停止したかのような静止と、次の瞬間に重力へ委ねるような崩落の連続。その不穏さと決意が、観客の呼吸を止めさせた。

池本はまた、舞台全体の狂言回しとして各場面を導きつつ、“死”という概念そのものを具現化していた。彼の存在は、三島の人生そのものが死に向かって設計されていたことを、否応なく思い出させる。四者の動きは時に対立し、時に重なり合い、ひとつの複雑で矛盾に満ちた人格=三島を舞台上に立ち上げていく。

美と死と母なる海


photo by Shoko Matsuhashi

『M』の舞台において強く印象に残るのが、女たちの群舞によって可視化された“海”のモチーフ。腕の動きが波のうねりを描き、床を這うようなスライディングが潮の引きを示す。動きは時に静謐で、時に突き上げるように荒々しい。そして何より、観客を抱擁し、呑み込むような包容力がそこにはあった。海は、母であり死であり愛であり、再生の象徴として描かれた。

聖セバスチャン(大塚卓)は、ピンと張られた筋肉と滑らかな動線によって“美の絶対性”を見事に体現していた。三島が心酔した「射られる青年」として、静止するポーズのひとつひとつが凛々しい宗教画のようであり、実体を持たぬ幻影として立ち現れる。触れられそうで触れられない、至高の存在。

舞台美術、照明、衣裳、音楽構成——そのすべてが高度に統合され、ベジャールが構想した“詩的な三島”の宇宙を体感させる。音楽は、黛敏郎を軸に、シュトラウス、ドビュッシー、サティ、ワーグナーといった西洋音楽の断片が用いられ、多層的な音のコラージュが舞台に深みを加える。

『M』は三島が45歳で命を絶ったことにベジャールが深く共鳴し、自らの創作人生をかけて向き合った作品だと感じさせた。『バレエ・フォー・ライフ』を夭折したフレディ・マーキュリーと愛弟子ジョルジュ・ドンに捧げたように、この『M』は三島に捧げられた鎮魂の舞であり、芸術の力で記憶と精神を蘇らせる。

三島を、ベジャールを、いま再び観ることの意味

モーリス・ベジャールにとって、三島由紀夫の作品や思想は、単なる文学作品以上のもの——芸術と人生を貫く「問い」そのものだった。三島の生き方そのものが、ベジャールにとって「芸術とは何か」という命題へのヒントであり、インスピレーションの源だった。

三島由紀夫生誕100年、そして2027年にはベジャールも生誕100年を迎える。二人の芸術家が遺した問い――「生きること」「美とは何か」「死をいかに迎えるか」は、時代や国を超えて、今を生きる私たちにも突きつけられている。『M』はその問いに、踊りという最も直接的な身体表現で応える作品であり、筋肉、骨格、呼吸、そして沈黙によって語りかけてくる。

芸術は時を超えて、私たちに考える力と、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる——それを三島の作品を通じて伝えたのが、モーリス・ベジャール(Maurice Béjart)だった。

■三島由紀夫生誕100年記念
東京バレエ団
『M』

日時:2025年9月23日
会場:東京文化会館

振付/美術・衣裳コンセプト:モーリス・ベジャール
音楽構成:黛 敏郎
音楽:黛 敏郎、C.ドビュッシー、J.シュトラウスⅡ世、E.サティ、R.ワーグナー、L.ポトラ/D.オリヴィエリ

少年:岩崎巧見
Ⅰ-イチ:柄本 弾
Ⅱ-ニ:宮川新大
Ⅲ-サン:生方隆之介
Ⅳ-シ(死):池本祥真
聖セバスチャン:大塚 卓
女:伝田陽美
海上の月:長谷川琴音
射手:南江祐生
船乗り:安村圭太

【禁色】
オレンジ:三雲友里加
ローズ:二瓶加奈子
ヴァイオレット:中島映理子

【鹿鳴館】
円舞曲:足立真里亜、加藤くるみ、中沢恵理子
後藤健太朗、加古貴也、山仁 尚、陶山 湘
貴顕淑女:大坪優花、大久保心愛、神野日菜、ドイルセラ小春
本岡直也、髙橋隼世、青木恵吾
ソファのカップル: 政本絵美、中嶋智哉

海:中川美雪、涌田美紀、工 桃子、安西くるみ、長岡佑奈、
橋谷美香、瓜生遥花、本村明日香、鈴木香厘、富田紗永、
池戸詩織、前川琴音、居川愛梨、相澤 圭、栗芝みなみ、
富田翔子、池内絢音、岸本 花、山下寿理、福田天音、
五十嵐玲奈、重松 宙、田島幸来、吉川文菜、ドイルセラ小春

男:岡崎隼也、井福俊太郎、鳥海 創、二山治雄、海田一成、
後藤健太朗、加古貴也、山下湧吾、南江祐生、山仁 尚、
本岡直也、孝多佑月、芹澤 創、小泉陽大、宮村啓斗、
髙橋隼世、山下諒太朗、陶山 湘、津守貴嵩、青木恵吾

ピアニスト:菊池洋子

概要/「M」/2025/NBS公演一覧/NBS日本舞台芸術振興会

【プロモーション映像】ベジャール振付「M」The Tokyo Ballet – M