2025年秋のヨーロッパ・ツアーを経て、最初の定期シリーズに臨んだ東京フィル。ストラヴィンスキーやプロコフィエフといった20世紀作品で切れ味鋭い演奏を聴かせた名誉音楽監督チョン・ミョンフン&東京フィルが、今回は一転してドイツ・ロマン派の王道プログラムに挑んだ。序曲・協奏曲・交響曲というオーソドックスな形式に立ち返り、楽団の現在地と今後を照らし出す一夜となった。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
歌劇的ドラマを凝縮したウェーバー

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
冒頭は、カール・マリア・フォン・ウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲。没後200年という歴史的佳節に呼応する選曲でもある。ウェーバーは、ドイツ・ロマン派という精神的運動の出発点に立つ作曲家である。
没後200年を迎える今、その序曲を冒頭に据えたことは単なる顕彰ではない。ロマン派の源流を明示し、その後にブルッフ、メンデルスゾーンを置くことで、19世紀ドイツ音楽の精神史を辿る構成が浮かび上がる。チョンはこの歴史的射程を、過度な解釈性に頼ることなく、音楽そのものの力で提示した。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
オペラ指揮者として世界の歌劇場で実績を重ねてきたチョン・ミョンフンにとって、ドイツ・ロマン派オペラの金字塔とも言えるレパートリー。深い呼吸で紡がれる翳りを帯びた序奏から、濃密なドラマが立ち上がる。中間部では速めのテンポ設定で緊張感を高め、構築感を明確に。主題が晴れやかに回帰するフィナーレでは、解放感と清澄な抒情がホールを満たした。
東京フィルが長年培ってきたオペラのDNAと、チョンの劇的構築力が結びつき、序曲一曲にして“舞台”を見せる完成度が提示された。
岡本誠司、誠実さが結ぶロマンの核心

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
マックス・ブルッフ《ヴァイオリン協奏曲第1番》では、2021年ARDミュンヘン国際音楽コンクール覇者の岡本誠司が独奏を務めた。
岡本の演奏は、作品への深い敬意に貫かれている。過度に自己を誇示せず、旋律の自然な呼吸と均整を大切にする姿勢が、結果として格調の高さを生む。滑らかな色艶を湛えた音色は、第2楽章アダージョでひときわ甘美に響き、ロマン派特有の憂愁と温もりを丁寧に描き出した。情熱的な終楽章では、適度な粘りと推進力を両立させ、チョンの厚みあるサポートとともに熱量を高める。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
アンコールにはヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏ソナタから一曲。ノン・ヴィブラートを基調としたピリオド奏法へ即座に切り替え、様式感を明確に提示する“二刀流”ぶりを鮮やかに示した。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
円熟が導いた《スコットランド》の陰影

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
後半は、フェリックス・メンデルスゾーン《交響曲第3番 イ短調「スコットランド」》。チョンのロマンティックな本質が、ここで明確に現れた。チョンのロマン派解釈は、旋律美の提示にとどまらない。フレーズ単位の呼吸を積み重ねながら、楽章全体を一つの心理劇として統合する建築的視野が明確である。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
第1楽章冒頭、陰影に富む旋律が静かに立ち上がる瞬間から、歌心は全開。寂寥を湛えた情動がじんわりと浸透する。主部では決然とした造形で彫りを深め、緻密な構築性を示した。軽快な第2楽章は機動力に富み、アダージョの第3楽章では一転して深々とした抒情が広がる。そして終楽章、歯切れ良いカンタービレとシンフォニックなうねりが堂々と結実した。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
東京フィルの“よく歌う”資質が相乗効果を生み、木管群の充実が光る。各楽章の性格を明確に描き分けつつ、全曲を一つの大きな物語として統合する手腕で円熟の境地を示した。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
ツアーの成果と“原点回帰”
欧州ツアーで得た自信と課題。その両方を抱えた帰国後最初の定期で、名誉音楽監督チョン・ミョンフンと東京フィルは奇をてらわない“王道”プログラムに真正面から向き合った。イタリア・オペラで磨いた歌謡性を基盤にしながら、ドイツ音楽の構築性へと踏み込む。そこには、ドイツのオーケストラの模倣ではなく、東京フィルならではの個性を踏まえた深化への意志が感じられた。
歌と構造、情熱と品格——その両立を示した本公演は、東京フィルが次の段階へ歩みを進める確かな一歩となったに違いない。次回チョン・ミョンフンの登場は7月、ビゼー《カルメン》(演奏会形式)。オペラの血肉がさらに熱を帯びる瞬間を、今から心して待ちたい。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
■東京フィルハーモニー交響楽団
第1028回サントリー定期シリーズ
日時:2月18日(水)19:00
会場:サントリーホール 大ホール
指揮:チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
ヴァイオリン:岡本誠司
プログラム
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77より序曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番ト短調
メンデルスゾーン:交響曲 第3番イ短調「スコットランド」
ソリスト・アンコール
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001よりアダージョ


