【公演レポ】新国立劇場、新作オペラ『ナターシャ』開幕!7つの地獄で現代社会の病理を投影


新国立劇場 創作委嘱作品、台本・多和田葉子 作曲・細川俊夫の新作オペラ《ナターシャ》が8月11日、世界初演を迎えた。大野和士芸術監督による日本人作曲家委嘱作品シリーズ第3弾として、細川俊夫による新作オペラの上演となった。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

細川俊夫による新作オペラ《ナターシャ》は、現代社会の諸問題を、幻想的かつ象徴的な形式で描き出す作品である。日本語・ドイツ語・ウクライナ語といった多言語を駆使し、音楽と映像、身体表現が一体となって「世界の今」を問う、挑戦作だと感じられた。

本オペラは台本によるところが大きく、台本はドイツに住み、日本語・独語で小説を執筆し、『犬婿入り』(1993年)で芥川賞を受賞した多和田葉子が担った。多和田は、ドイツに住み、日本語・独語で小説を執筆し、『犬婿入り』(1993年)で芥川賞を受賞。2011年の東日本大震災以降、自然と人間の関係、破壊と祈りを主題にしてきた細川俊夫の世界観が濃厚に凝縮されている。

国境、言語、文化、世代、性別など、様々な境界を越境する視点から、現代社会や人間の持つ課題に迫っている。《ナターシャ》は、戦争・原発・環境破壊といった現代政治的トラウマを、抽象・象徴・多言語で構成された「政治化された芸術」として提示している。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

物語は、移民の若い女性ナターシャと、少年のような存在アラトが、メフィスト的な存在に導かれながら、「7つの地獄」を巡る旅を描く。舞台は明確なリアリズムを拒み、夢幻と現実が交錯する構造。

オペラ《ナターシャ》は、若い女ナターシャと若い男アラトが7つの地獄をめぐる物語。ナターシャをソプラノ(イルゼ・エーレンス)、アラトをメゾソプラノ(山下裕賀)が演じる。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

7つの地獄は

第1場「森林地獄」自然破壊、森林伐採
第2場「快楽地獄」消費主義、享楽社会、情報中毒
第3場「洪水地獄」気候変動による自然災害
第4場「ビジネス地獄」資本主義の暴走、金融資本の暴力
第5場「沼地獄」 戦争、難民移民問題、人道の崩壊
第6場「炎上地獄」SNS社会、言葉の暴力、集団狂気
第7場「旱魃地獄」資源枯渇、環境破壊、終末的風景

をそれぞれ意味し、現代社会の罪と暗部を象徴。観客と現代社会に対する鋭い問いかけを行った。

オペラ《ナターシャ》は、若い女ナターシャと若い男アラトが「7つの地獄」を旅するという構造を持ち、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』第一部《地獄篇》を彷彿とさせる。ダンテは、ヴィルギリウスに導かれながら9層からなる地獄を下降し、罪の重さに応じて配された亡者たちの姿を目撃する。

日本の寺院などで見られる伝統的な六道絵は、仏教で説く六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)の世界を絵画化した仏画だが、本作は六道絵からヒントを得ているようにも感じられた。六道絵は、仏教における六道輪廻の教えを視覚化したものであり、人が生前に犯した「罪」に応じて死後に堕ちる六つの世界を描いている。六道絵は単なる恐怖の絵画ではなく、「自分もまたこの道を歩むかもしれない」という反省と戒めを観る者に与える。

《ナターシャ》に登場する「7つの地獄」は、現代社会が生み出した罪や過失(環境破壊、資本市場主義、戦争など)を、視覚的・音響的に象徴的に描き出している。《ナターシャ》が《神曲》や六道絵と異なるのは、地獄を死後の世界における概念として描くのではなく、「今この世界に生きている人間が作り出した地獄」として可視化している点にある。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

ダンテの地獄が神の正義に基づく裁きであるのに対し、《ナターシャ》に登場する地獄は人間自身の欲望、無関心、傲慢によって生まれたものである点は興味深い。この点は仏教の「地獄は心の中にある」という思想とも響き合うものがあり、六道絵から直接的に影響を受けていなかったとしても、その精神性には深い共通点が見出せる。

オペラ《ナターシャ》の冒頭シーン「森林地獄」は、視覚・聴覚ともに強烈なインパクトをもって始まる。舞台には一切の緑が存在せず、「木のない森」という矛盾したイメージが象徴的に提示される。この虚無的な空間は、ただの風景ではなく、人間による自然破壊の結果としての世界を表している。

現代社会の七つの地獄:

コーラスが「木のない森」の歌を歌唱。オーケストラが混沌とした様相を響かせる。緑のない空虚な空間が広がり、多言語による言語による詩が重なり合うように開発による悪夢を描き出す。「森林地獄」は、単なる演出上のファンタジーではなく、現代社会が直面している環境問題の鏡像である。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

日本国内では、ここ10~15年の間に再生可能エネルギーの名のもとに、山林の伐採による大規模メガソーラー開発が各地で進行している。2011年の東日本大震災以降、脱原発を目指した政策の一環として再エネが推進されたが、その裏で本来保護されるべき山林が失われ、景観破壊、土砂災害リスク、洪水リスク、地域住民との軋轢など、新たな環境問題が生じている。

再生可能エネルギーという見せかけの「善意」が、新たな破壊を生み出すというアイロニー。「森林地獄」はその演出・音楽・言語の選択において、芸術的な抽象性と現実的なメッセージの両立に成功している。抽象的な詩、ミニマルかつ緊張感のある音楽、無機質な照明と空間のデザインは、観客に強烈な感情的体験を与えながら、現実の環境問題への気づきへと誘導する。

本作の第2場「快楽地獄」は、物語の中でも特に象徴的な場面として位置づけられている。舞台は太平洋のリゾート地の浜辺。リゾートという言葉が想起させる楽園のイメージとは裏腹に、音楽と演出は次第にその表層を剥ぎ取り、現代の環境問題と消費社会への警鐘を鳴らす地獄絵へと観客を導いていく。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

舞台には2名の歌手と、サクソフォーン奏者、エレキギター奏者という異色の編成が登場。細川の音楽はこの構成を巧みに活かし、ハ短調による一見甘美で官能的な音楽を奏でながら、次第にその音が歪み始め、調和が崩れていく。これはまさに“快楽”の裏に潜む“地獄”の暗喩。

印象的なのは、「プラスチックは海を満たしていく」という場面の演出と音楽の融合である。サクソフォーンとエレキギターによる不協和音が重なり、波音を模した電子音が不気味に響き渡る中、舞台には透明なビニールが降り注ぎ、登場人物の身体に絡みついていく。この演出は、目を背けがちな環境汚染のリアルさを視覚的に突きつけ、観客に深い不快感と共に思考を促している。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

甘美な音楽の裏に広がる不穏さ、快楽と環境破壊が共存するリゾートの風景。そこに浮かび上がるのは、現代人が日々享受している“快楽”が、どれほど他者(自然、未来の世代)に“地獄”を強いているかという問いである。

多和田葉子による台本は、詩的でありながら鋭い批評性を備えており、「快楽地獄」というタイトル自体が作品のテーマを凝縮している。多和田の言葉は、自然を蹂躙しながらも無自覚に享楽を貪る人間の姿を、時にユーモラスに、時に苛烈に描き出す。

『オペラナターシャ』第4場「ビジネス地獄」は、現代資本主義社会の冷酷な現実を、強烈な視覚演出と不協和音を駆使した音楽によって暴き出す場面である。舞台は証券取引所を模したきらびやかな空間。だがその煌びやかさは、倫理や人間性を切り捨てた“ビジネス”の世界における虚構であり、観客はすぐにその裏にある不穏さと狂気に気づかされる。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

スーツ姿の登場人物たちは、感情を一切排除したロボットのような所作で「利益」「効率」といった言葉を無機質に繰り返し、舞台は次第に「地獄」と化していく。この場面が象徴しているのは、金融資本の暴力性であり、数字と資産価値の論理が人間の生活や尊厳を凌駕していく構造そのものである。

人間の倫理や生活を無視した利益至上主義への批判は、日本の行き過ぎた派遣労働や貧富の格差拡大を想起させた。1990年代以降の「労働市場の自由化」という美名により、非正規労働者が激増。株主への配当金は過去20年で10倍規模になり株主のみが利益を独占。企業利益が「株主還元」と「内部留保」に回され、現場の労働者や社会全体には還元されない仕組みを強固に構築。さらに踏み込んで見ると、この「ビジネス地獄」は、日本の少子高齢化を生み出した社会構造とも深く重なる。舞台上で繰り広げられる機械的な動作と、無感情な利益追求は、まさにその「新自由主義」の冷酷さの視覚化である。

経済的な不安定さ(非正規雇用、低賃金)といった要因が若者の結婚・出産の選択を阻み、「子どもを持てない社会」を生み出している。そしてその元凶の一つが、「利益は出すが人は守らない」という現在の資本主義社会の在り方となっていることを明示している。第4場は、その冷酷なシステムを「地獄」として視覚化・音楽化し、人間性が失われた経済社会の果てを鋭敏に描いた。

これは単なる経済問題ではなく、「どのような社会を築き、どのような未来を望むのか」という倫理的・哲学的な問いでもある。人間性をないがしろにした利益至上主義は、最終的に社会そのものを瓦解させるという警鐘が、『ナターシャ』第4場「ビジネス地獄」に込められている。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

音楽面では、調和を拒む不協和音、リズムの断絶、突発的な音響効果によって、観客は不安と緊張の中に引き込まれる。視覚的にも、取引所の電光掲示板のようなディスプレイが点滅し、数字が機械的に踊る様は、金融資本主義の抽象的でありながら圧倒的な力を示している。

場面のクライマックスには、メフィストの孫が登場するが、特別に邪悪な行動を取るわけではない。メフィストの孫が言うのはただ一言、

「私は手を下す必要がない。人間は自分たちで十分に地獄を創っている。」


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

メフィストの孫が演じた迫真の演技は、背筋の凍るような皮肉と真実が込められている。悪魔的な存在が何かをするまでもなく、人間の手によって地獄は作られ、日々運営されている。現代の経済社会が、倫理を排除したルールによって構築される。それが正義として受け入れられている現実に対する痛烈な風刺である。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

第5場の舞台は「沼地」。「沼地獄」は物理的な空間というよりも、精神と時間が淀み、記憶と意識がゆっくりと沈んでいくような、抽象的かつ内省的な場所。

現代の人々が抜け出せずにいる苦しい状態を象徴しているようだった。将来に希望が持てない、気づかないふりをしてきた問題が積もり積もって動けなくなっている。環境問題や戦争や移民問題など「どうにもならない」と感じる現実。こうした“ドロドロした”問題の中に沈み込んでいる状態と諦めが「沼地獄」として描かれている。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

静かな音楽、低く響く弦楽器。ときどき聞こえてくる囁き声。この場面では、主人公ナターシャが一人で沼の中に立ち尽くすような演出になっている。同場面が「地獄」と呼ばれるのは、簡単には抜け出せない状態だからだろう。と同時に、ここでナターシャは本当の自分と向き合う時間を持つことにもなる。全体的に派手さはないが、観客の想像力に訴えかけるような構成となっている。

第7場「旱魃地獄(かんばつじごく)」は、資源枯渇、環境破壊、終末的風景、砂漠化といったテーマを示唆。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

水や生命が失われ、砂漠化した世界で、2人は地獄の底に到達し、すべての音が消える静寂へと導かれる。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

静寂の中でナターシャとアラトの二重唱が幻想的に響き渡り、続いて冒頭の「海」のイメージやバベルの塔、逆さピラミッドなど、象徴的なヴィジュアルが浮かびあがった。絶望の中心であっても“新しい始まり”が示唆されており、破壊の向こうにある再生が暗示されています。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

作曲家 細川俊夫の音楽は、伝統的な旋律線を排し、無音から微細な音へと展開する「間」と「余白」を重視した音楽構成が印象的だった。微細な音の揺らぎから立ち上がる音響世界は、観客の聴覚と精神を深く内省へと導く。無音から音が生まれる瞬間にこそ意味を見出す細川の美学が、本作においても一貫して貫かれていた。

大野和士は指揮で東京フィルを巧みに統率し、多層的な音響を支えた。多言語が交錯し、リズムやテンポが流動するなかでも、音楽の緊張感を絶やすことなく、細川作品の透明感と鋭さを鮮やかに描き出した。

クリスティアン・レートの演出は、映像、照明、美術が緊密に連携し、舞台空間に強烈な寓話性と現代性をもたらした。スクリーンに投影される映像や、環境音・電子音を含むサラウンド音響は、観客を現代社会の不条理や戦争、アイデンティティの喪失といったテーマへと直感的に誘った。演劇的な身体表現と映像芸術の融合は、観客に没入感を与え、オペラの枠を超えた芸術として機能していた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

有馬純寿による電子音響は、自然音のみならず多国の音を組み合わせることで、ローカルとグローバル、個人と自然、時間と空間の境界を曖昧にし、一つの視覚的・聴覚的シンフォニーとして描き出した。映像や照明、舞台美術と電子音響が一体化し、作品と観客を一つの夢幻空間に包み込むような演出効果が創出させた。オペラ《ナターシャ》ならではの音響効果により観客はまるで地獄を旅するような感覚へと引き込まれます。

タイトルロールを務めたイルゼ・エーレンスは、内面の苦悩と希望を行き来するナターシャの複雑な心理を、卓越した表現力で体現。透明感のあるソプラノは時に痛々しく、時に祈りのように清らかに響き、終幕の「祈り」の場面では、観客の心をつかんで離さなかった。他キャストもそれぞれの役柄を的確に演じ、アンサンブルの緻密さと個々の存在感の両立が印象的だった。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

オペラ《ナターシャ》は、ダンテの《神曲》や仏教の六道絵といった古典的世界観を現代的文脈に翻案した部分があり、「地獄」というモチーフを通じて、現代人が直面する環境、経済、社会的病理を鋭く投影する試みである。

地獄とは、遠い死後の世界ではなく、今この瞬間に我々が生きているこの場所である――そのメッセージは、まさに宗教的芸術が担ってきた「覚醒」の機能を、現代のオペラとして再生させている。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

■新国立劇場2024/2025シーズンオペラ
細川俊夫『ナターシャ』
<新制作 創作委嘱作品・世界初演>
全1幕〈日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多言語上演/日本語及び英語字幕付〉

日時:2025年8月13日(水)14:00
会場:新国立劇場オペラパレス。

STAFF

【台 本】多和田葉子
【作 曲】細川俊夫
【指 揮】大野和士
【演 出】クリスティアン・レート
【美 術】クリスティアン・レート、ダニエル・ウンガー
【衣 裳】マッティ・ウルリッチ
【照 明】リック・フィッシャー
【映 像】クレメンス・ヴァルター
【電子音響】有馬純寿
【振 付】キャサリン・ガラッソ
【舞台監督】髙橋尚史

CAST

【ナターシャ】イルゼ・エーレンス
【アラト】山下裕賀
【メフィストの孫】クリスティアン・ミードル
【ポップ歌手A】森谷真理
【ポップ歌手B】冨平安希子
【ビジネスマンA】タン・ジュンボ

【サクソフォーン奏者】大石将紀
【エレキギター奏者】山田 岳
【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

Libretto by TAWADA Yoko
Composed by HOSOKAWA Toshio
Conductor: ONO Kazushi
Production: Christian RÄTH
Set Design: Christian RÄTH, Daniel UNGER
Costume Design: Mattie ULLRICH
Lighting Design: Rick FISHER
Video Design: Clemens WALTER
Electronic Sound Design: ARIMA Sumihisa
Choreographer: Catherine GALASSO
Stage Manager: TAKAHASHI Naohito

Natasha: Ilse EERENS
Arato: YAMASHITA Hiroka
Mephistos Enkel: Christian MIEDL
Frau A: MORIYA Mari
Frau B: TOMIHIRA Akiko
Businessman A: TANG Jun Bo

Saxophonist: OISHI Masanori
Electric guitarist: YAMADA Gaku

Chorus Master : TOMIHIRA Kyohei
Chorus : New National Theatre Chorus
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra

Commissioned by New National Theatre Tokyo with the support of the
ernst von siemens music foundation

ナターシャ
新国立劇場のオペラ公演「ナターシャ」のご紹介。 新国立劇場では名作から世界初演の新作まで、世界水準の多彩なオペラを上演しています。