邦人姉妹が輝いた新国立劇場『ウェルテル』――脇園彩と砂田愛梨の名唱

フランス・オペラ屈指の名作、マスネ《ウェルテル》が新国立劇場で上演された。ニコラ・ジョエル演出による2016年初演プロダクションの再演となる今回の名演を決定づけたのは、シャルロット役・脇園彩とソフィー役・砂田愛梨、二人の邦人歌手による鮮烈なる競演だった。

世界的テノール、チャールズ・カストロノーヴォを迎えた豪華な上演ではあったが、姉妹役を担った日本人歌手たちの充実ぶりが、抒情劇に深い陰影と鮮烈な生命感を与えていた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

情熱と知性が結実した脇園彩のシャルロット

とりわけ脇園彩の充実ぶりは圧巻である。ロッシーニ作品を中心に国際舞台でキャリアを築いてきたメゾソプラノだが、今回が《ウェルテル》シャルロットのロールデビュー。その歌唱は、“初役”という言葉を忘れさせる完成度を示していた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

音域全体にわたり均質で厚みのある声、自然なフランス語のディクション、そしてロマン派特有の揺れ動く情感を深く掘り下げる表現力。前半では妹たちを支える理知的で落ち着いた姉としての姿を描き、後半では抑圧された情熱を一気に噴出させる。

圧倒的だったのは、第3幕「手紙の歌」。ウェルテルから届いた手紙を前に揺れる内面を、息の長いフレージングと濃密な声の陰影で描出。感情の昂ぶりが極限まで高まった瞬間、客席からは盛大なブラボーが飛び交い、この日の上演を象徴する名場面となった。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

終幕で瀕死のウェルテルに寄り添う場面でも、愛と義務の狭間で引き裂かれる女性の苦悩を痛切に表現。単なる悲劇のヒロインではなく、自らの感情と向き合う“意志ある女性”としてシャルロット像を築き上げた点も印象深い。

近年、イタリア・オペラのみならずフランス作品へも着実にレパートリーを広げてきた脇園だが、その歩みの確かさと世界水準の実力を改めて証明する舞台となった。

作品に光を差した砂田愛梨のソフィー

脇園と絶妙な対照を成したのが、妹ソフィー役の砂田愛梨。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

悲劇色の濃い《ウェルテル》において、ソフィーは一服の清涼剤とも言うべき存在。その役柄を、砂田は透明感あふれる声と素直な音楽性で見事に体現した。張りのある明晰な声、華やかで伸びやかなフレージング、そして自然体の愛らしさ。登場するたびに舞台の空気がふっと明るく変わる。フランス語の響きの美しさが際立っており、無邪気さの中にも清楚さと愛らしさが共存していた。

出番は決して多くないが、存在感が鮮烈である。脇園の濃密なドラマに対し、砂田は軽やかな光を差し込む存在として機能し、“邦人姉妹”の対比が作品世界に豊かな陰影を与えていた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

カストロノーヴォの熱唱と充実の男性陣


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

タイトルロールを歌ったチャールズ・カストロノーヴォも見事な歌唱を披露した。同劇場初登場にして初役となるウェルテルを、持ち前の輝かしいリリック・テノールで熱演。第1幕ではやや力感の強い印象もあったが、幕が進むにつれて歌唱は自在さを増し、第3幕「オシアンの歌」では、甘美さと激情を兼ね備えた名唱を聴かせた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

ナイーヴな青年というより、一途な情熱に突き動かされる男として役を造形した点にも説得力があり、舞台姿の美しさも含め、スター性際立つ存在だった。

脇を固めた日本人キャストも充実。須藤慎吾のアルベールは誠実で理知的な人物像を渋みのある声で表現し、伊藤貴之の大法官も温かな父親像を自然体で描き出した。村上公太、駒田敏章らも安定したアンサンブルで舞台を支えた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

ユルケヴィチと東京フィルが描いた濃密な抒情


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

特筆すべきは、アンドリー・ユルケヴィチ指揮、東京フィルハーモニー交響楽団による重厚かつ色彩感豊かな演奏である。

現在プラハ国立歌劇場の音楽監督を務めるユルケヴィチは、東欧オペラの伝統の中で培った濃密な劇場感覚を持つ指揮者。その経験は今回の《ウェルテル》でも大いに生かされていた。歌手の呼吸に細やかに寄り添いながら、マスネ特有の感傷性と官能的な響きを丁寧に掘り起こし、音楽そのものに深いドラマ性を宿らせていた。

新国立劇場では、2019年《エフゲニー・オネーギン》、2022年《椿姫》でも高水準の音楽作りを聴かせてきたが、今回の《ウェルテル》ではその円熟ぶりがさらに際立った印象だ。第3幕以降は、オーケストラそのものが登場人物の心理を語るような迫真性を帯び、舞台全体を濃密な抒情で包み込んでいった。

木管の繊細なニュアンス、金管の劇的な高揚感も鮮烈で、東京フィルの充実ぶりは目を見張るものがあった。とりわけシャルロットの感情の揺らぎに寄り添うようなオーケストラの呼吸は見事で、脇園彩の熱唱をさらにドラマティックに浮かび上がらせていた。

写実美に徹した舞台が支えた《ウェルテル》の世界


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

ニコラ・ジョエルによる演出は、堅実な写実的なスタイル。奇をてらわず、物語と音楽に真正面から向き合う舞台作りで、観客を安心して作品世界へ没入させる。エマニュエル・ファーヴルによる美術も美しく、洋館の室内や樹木の質感、柔らかな照明の陰影が、ゲーテ原作に通じるドイツ・ロマン派的な空気を醸成していた。

世界的歌手カストロノーヴォを迎えながら、今回の上演で最も強く印象に残ったのは、脇園彩と砂田愛梨、二人の邦人歌手の輝きである。

濃密な情熱と清冽な光――姉妹という役柄そのままに対照的な魅力を放った二人が、《ウェルテル》という抒情劇に新たな生命を吹き込んでいた。


撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

■2025/2026シーズン 新国立劇場
ジュール・マスネ
『ウェルテル』
Werther / Jules Massenet
全4幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉

日時:2026年5月26日(火)14:00
会場:新国立劇場 オペラパレス

STAFF:

【指 揮】アンドリー・ユルケヴィチ
【演 出】ニコラ・ジョエル
【美 術】エマニュエル・ファーヴル
【衣 裳】カティア・デュフロ
【照 明】ヴィニチオ・ケリ

CAST:

【ウェルテル】チャールズ・カストロノーヴォ
【シャルロット】脇園 彩
【アルベール】須藤慎吾
【ソフィー】砂田愛梨
【大法官】伊藤貴之
【シュミット】村上公太
【ジョアン】駒田敏章
【ブリュールマン】水野 優
【ケッチェン】肥沼諒子
【合唱指揮】平野桂子
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

ウェルテル
新国立劇場のオペラ公演「ウェルテル」のご紹介。 新国立劇場では名作から世界初演の新作まで、世界水準の多彩なオペラを上演しています。

▼新国立劇場オペラ2025/2026シーズン 『ウェルテル』告知映像 Werther New National Theatre, Tokyo