新星ヴィターレ&デソーレが沸かせた新国立劇場『愛の妙薬』

5月16日、新国立劇場オペラパレスで上演されたガエターノ・ドニゼッティ《愛の妙薬》は、ベルカント・オペラの醍醐味を余すことなく伝える完成度の高い上演となった。

チェーザレ・リエヴィ演出によるカラフルでポップな舞台は今回も健在。巨大な本や文字、小型飛行機などが次々と現れる幻想的な空間は、まるで絵本の中に迷い込んだかのよう。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

このプロダクションの真価は単なる視覚的楽しさにとどまらない。遊び心に満ちた舞台装置の裏側には、ネモリーノとアディーナの“真摯な愛”を丁寧に浮かび上がらせる繊細な心理描写が息づいている。そして何より、この日の上演を特別なものにしたのは、イタリア人歌手陣による極上のベルカント唱法である。

フランチェスカ・ピア・ヴィターレが示したベルカント・ソプラノの理想形


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

アディーナを歌ったフランチェスカ・ピア・ヴィターレは、新国立劇場初登場ながら圧倒的な存在感を示した。

まず耳を奪われるのは、透明感あふれる美声。高音域は驚くほど伸びやかで輝かしく、しかも決して鋭くならない。軽やかなコロラトゥーラは粒立ちが美しく、アジリタ(敏捷な技巧処理)も実に滑らか。ベルカント作品に不可欠な技巧を完璧に備えながら、単なる“技術披露”で終わらせない点が見事だった。

第1幕では気まぐれで知的なアディーナ像を生き生きと描き出し、ネモリーノへの感情が徐々に変化していく過程を、繊細なフレージングで巧みに表現。

終盤の「受け取って、私のおかげであなたは自由よ」(Prendi per me sei libero)では、メッサ・ディ・ヴォーチェを駆使した精妙な歌唱が圧巻で、ベルカントの様式美と感情表現が高次元で融合していた。

ネモリーノの旋律を受け継ぐ場面では、同じ音楽的ニュアンスを共有することで二人の心の結びつきを暗示しており、音楽的センスの高さにも唸らされた。

「人知れぬ涙」で劇場を沸かせたマッテオ・デソーレ


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

ネモリーノ役のマッテオ・デソーレもまた、上演の成功を決定づけた存在となった。

明るく伸びやかなイタリアン・テノールとして魅力的で、素朴で不器用ながら純粋なネモリーノ像がピタリと嵌る。第1幕ではやや力みも感じられたが、舞台が進むにつれて本来の魅力が全開となり、後半の充実ぶりが素晴らしかった。

最大の聴きどころとなったのが、第2幕の名アリア「人知れぬ涙」(Una furtiva lagrima)。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

柔らかなレガートで丁寧に紡がれる旋律は、決して過度に感傷へ流れることなく、むしろ気品すら感じさせる高雅な歌唱。ネモリーノの純真な感動が静かに深く客席へ浸透していく。ドニゼッティがこのアリアに込めた“愛する人への真情”を、デソーレは誠実に歌い抜いた。

歌い終えた瞬間、場内からは大きな喝采が沸き起こり、「ブラヴォ!」の声が飛び交う。長い拍手はなかなか鳴り止まず、この日のハイライトにふさわしい感動的な独唱だった。

マルコ・フィリッポ・ロマーノが牽引した喜劇性


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

そして、この舞台の推進力となっていたのが、ドゥルカマーラ役マルコ・フィリッポ・ロマーノ。

登場した瞬間から舞台の空気を掌握するスター性は圧巻。超絶技巧を駆使する口上「お聞きあれ、村の皆様」(Udite, udite, o rustici)では、鮮烈なディクションと自在なリズム感で客席を一気に引き込んだ。

特筆すべきは、卓越した“芝居力”。単なるコミック・リリーフに終わらず、いかさま薬売りの胡散臭さ、狡猾さ、愛嬌を絶妙なバランスで表現。身振り手振り、間の取り方、視線の動きまで計算され尽くしており、イタリア・オペラ・ブッファの伝統を体現していた。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

ベルコーレ役のシモーネ・アルベルギーニも存在感を発揮した。豊かな声量と安定したバリトンで、尊大で自信家の軍曹像を生き生きと造形。“嫌味な恋敵”に終わらず、どこか憎めない人物として描かれていた点が印象的だった。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

ジャンネッタ役の今野沙知恵も好演。明るく伸びやかな歌声で舞台に華やぎを添え、村娘たちを牽引する存在として生き生きとした美声を披露した。

マルコ・ギダリーニの巧みな統率

指揮のマルコ・ギダリーニも見事だった。歌手への呼吸の合わせ方が巧みで、テンポ設定は自然かつ流麗。喜劇的な軽快さを保ちながらも、要所ではしっかりと抒情を歌わせる。オーケストラは常に歌手を支えながら、ドラマに豊かな陰影を与えていた。

東京フィルハーモニー交響楽団の演奏も秀逸。弦楽器はしなやかで艶やかな響きを生み出し、木管はイタリア・オペラ特有の洒脱な色彩感を鮮やかに描写。ドニゼッティ特有の軽妙なリズム感と、時折顔を覗かせる叙情性を絶妙なバランスで表現していた。

歌手の呼吸に寄り添いながらも、音楽が平板にならず、細やかなニュアンスに富んだアンサンブルを形成。「人知れぬ涙」では、繊細な伴奏がネモリーノの心情を静かに支え、アリアの感動をより深いものへと昇華させていた。

また、新国立劇場合唱団の存在感も圧倒的。村人たちの活気や祝祭感を生き生きと描き出し、舞台に豊かなエネルギーを与えていた。響きは力強く、アンサンブルは極めて精緻。物語を動かす“もう一人の登場人物”として機能していた点も印象深い。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

コミカルな場面では躍動感たっぷりに客席を沸かせ、終幕では温かな一体感を創出。歌唱だけでなく演技面でも高い完成度を見せ、舞台全体を鮮やかに彩っていた。

“喜劇”の奥にある真実の愛


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

《愛の妙薬》はオペラ・ブッファの代表作として知られている。今回の上演が改めて示したのは、この作品が単なる喜劇ではなく、“ベルカントの技巧によって人間の真情を描くオペラ”であるということ。笑いに包まれながら、最後には確かな温かさが胸に残る。その感動を成立させたのは、ベルカントの様式を深く理解した歌手たちの誠実な表現にほかならない。

新国立劇場2025/2026シーズン《愛の妙薬》は“ベルカント・オペラの幸福”を鮮やかに体現した上演だった。


撮影:飯田耕治 提供:新国立劇場

■新国立劇場2025/2026シーズン
ガエターノ・ドニゼッティ
『愛の妙薬』
L’elisir d’amore / Gaetano Donizetti
全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉

日時:5月16日(土)14:00
会場:新国立劇場 オペラパレス

STAFF:

【指 揮】マルコ・ギダリーニ
【演 出】チェーザレ・リエヴィ
【美 術】ルイジ・ペーレゴ
【衣 裳】マリーナ・ルクサルド
【照 明】立田雄士

CAST:

【アディーナ】フランチェスカ・ピア・ヴィターレ
【ネモリーノ】マッテオ・デソーレ
【ベルコーレ】シモーネ・アルベルギーニ
【ドゥルカマーラ】マルコ・フィリッポ・ロマーノ
【ジャンネッタ】今野沙知恵

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

愛の妙薬
新国立劇場のオペラ公演「愛の妙薬」のご紹介。 新国立劇場では名作から世界初演の新作まで、世界水準の多彩なオペラを上演しています。

▼新国立劇場オペラ「愛の妙薬」ダイジェスト映像 L’elisir d’amore – NNTT