2026年5月13日、サントリーホールで開催された東京フィルハーモニー交響楽団 第1030回サントリー定期シリーズ。首席指揮者アンドレア・バッティストーニが掲げたプログラムは、シューマン(バッティストーニ編)《子供の情景》世界初演と、マーラー《交響曲第4番》。一見すると異なる時代・異なる編成の作品だが、その底流には“子供”という無垢な存在への眼差しが一貫して流れていた。
リストを魅了した《子供の情景》

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
前半に置かれたシューマン《子供の情景》は、1838年に作曲されたピアノ独奏曲の名作。とりわけ第7曲《トロイメライ》は広く愛されている。シューマン自身はこの作品を「子供のため」ではなく、「子供心を描いた大人のための作品」と語っている。
この曲を深く愛した人物のひとりにフランツ・リストの名が挙げられる。リストはシューマンへの手紙の中で「この曲のおかげで私は生涯最大の喜びを味わうことができた」と記し、さらに娘のために週に2、3回は弾いていることを明かしている。
リストが娘のために繰り返し弾いたという逸話は、《子供の情景》が単なる“小品集”ではなく、大人が失った感情へ触れる作品であることを物語っているのかもしれない。
“盛らない”編曲が生んだ世界初演

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
今回の上演で注目を集めたのは、バッティストーニ自身による管弦楽編曲版の世界初演。ピアノ作品のオーケストラ編曲というと、しばしば原曲以上の色彩や劇的効果を加える方向へ向かいがちだが、今回の編曲は、むしろその逆だった。
バッティストーニは、ピアノだからこそ成立する繊細な表現を無理にオーケストラへ移植しようとはしない。必要以上に“盛る”こともなく、シューマンの抒情や呼吸感を丁寧にオーケストラへ置き換えていく。
木管群は親密で柔らかく、金管は控えめな彩りとして機能し、ティンパニの使用もごく限定的。オーケストラ版でありながら、巨大な交響的拡張ではなく、大きな室内楽としての親密さが保たれていたのが印象的だった。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
“静かに収束する幸福”としてのマーラー4番

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
後半のマーラー《交響曲第4番》もまた、前半からの流れを自然に受け継いでいた。どちらも爆発的なカタルシスを目指す作品ではなく、穏やかに、内側へ向かって収束していく音楽として披露された。ト長調で始まりト長調で終わるという構造的共通点も含め、この二作品を並べた選曲意図は明快だった。
バッティストーニのマーラーは、重厚さよりも旋律線の歌わせ方を重視したアプローチ。
バッティストーニはマーラー特有の“死の影”を過度に強調せず、旋律の歌心を優先することで、交響曲第4番をより“人間的な幸福”として描こうとしていたように思われた。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
木管のアンサンブルは終始美しく、第2楽章ではコンサートマスター近藤薫のソロも存在感を示した。
そして終楽章。《天上の生活》を歌うソプラノ高橋維は、クライマックス直前、静かに舞台へ現れる。その登場自体が演出の一部のようで、会場の空気がすっと変わる。冒頭こそやや緊張感も感じられたが、数フレーズ後には柔らかく透明感ある歌声が広がり、マーラーの“子供の視点から見た天国”を静かに描き出した。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
“子供”という視点で結ばれた二人の作曲家

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
派手な演出や極端な解釈に頼ることなく、「子供」という主題を繊細に描いた今回の公演。シューマンとマーラーという二人の作曲家の間に流れる精神的な系譜を、バッティストーニは一夜のプログラムとして鮮やかに可視化してみせた。
オーケストラという巨大な器を用いながら、最後に浮かび上がったのは、シューマンがピアノ一台に託した“子供心”の繊細さだった。その逆説こそ、この夜もっとも印象深い発見だったのかもしれない。話題性だけでは終わらない、“音楽の純度”を感じさせるコンサートだった。

撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団
■東京フィルハーモニー交響楽団
第1030回サントリー定期シリーズ
日程:2026年5月13日(水)19:00
会場:サントリーホール大ホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ(首席指揮者)
ソプラノ:高橋 維
プログラム:
シューマン(バッティストーニ編)/『子供の情景』〈世界初演〉
マーラー/交響曲第4番



