世界へ羽ばたく国産バレエの到達点――東京バレエ団『かぐや姫』

2026年5月5日(火・祝)18時30分、東京バレエ団『かぐや姫』公演が東京文化会館にて上演された。本公演は、同館の大規模改修工事前最後の自主公演としても大きな意味を持つ舞台であり、終演後には幾度となくカーテンコールが繰り返される熱狂に包まれた。

演出・振付・空間デザインを手掛けるのは、Noismを率いてきた振付家・金森穣。
『竹取物語』を題材としながらも、本作が描き出すのは単なる古典再話ではない。そこにあるのは、欲望、権力、孤独、そして人間存在の根源へと迫る、極めて現代的な身体表現だった。とりわけ、愛情と支配が未分化なまま交錯する関係性の描き方には、現代社会にも通じる生々しさがあった。

“日本”を超えていく身体表現


Photo:Shoko Matsuhashi

東京バレエ団にとって、日本文学を題材とし、日本人スタッフのみで創作された全幕作品は本作が初となる。2021年から一幕ずつ初演され、2023年に全三幕版として完成した『かぐや姫』は、この再演を経てさらに進化し、研ぎ澄まされていた。

舞台美術は極限まで削ぎ落とされている。白を基調とした空間に、高低差のある壇と階段。そこへ照明が竹林や月光の気配を描き出し、衣裳が鮮烈な色彩を浮かび上がらせる。

着物を直接再現するのではなく、身体の動きを最大限に際立たせるレオタードやタイツを基調とした衣裳デザインは、クラシックバレエの様式から一歩踏み出し、モダンバレエ的な抽象性を獲得していた。無機質なまでの洗練が、逆説的に観客それぞれの感情を投影できる“余白”を生み出している。

足立真里亜が体現した“かぐや姫”の変容


Photo:Shoko Matsuhashi

夜公演で主役・かぐや姫を演じたのは足立真里亜。第一幕では、童たちと駆け回る少女時代の無垢な躍動感が印象的だった。くるくると変化する表情と、空間へ飛び込んでいくような軽やかな跳躍。その姿は、世界そのものを信じ切っている存在の輝きに満ちている。

物語が進むにつれ、その身体は徐々に拘束されていく。道児と交わす手の振りは次第に儀礼化し、二人の距離には常に他者の視線が入り込むようになる。終盤、足立の繊細かつ強靭な身体表現は、この世界に居場所を持てないかぐや姫の感覚を静かに滲ませていた。

道児と影姫――光と影の共鳴


Photo:Shoko Matsuhashi

道児を演じた柄本弾は、かぐや姫と対照的に地に足のついた適度な温度を持つ存在として舞台を支える。月光の下、「月の光」に乗せて踊られるパ・ド・ドゥは、本作屈指の美しさを放っていた。

金子仁美演じる影姫の存在も印象深い。華やかな宮廷にありながら孤独を抱える影姫とかぐや姫は、やがて光と影のように共鳴し始める。二人の女性像を重ね合わせることで、本作は単純な善悪や対立を超えた深みを獲得していた。

観客の視線を奪った帝と大臣たち


Photo:Shoko Matsuhashi

宮廷を支配する“権力”の輪郭を鮮やかに浮かび上がらせた帝を演じた生方隆之介の存在感が圧巻だった。舞台中央に静かに立つだけで空気を変える凛々しい立ち姿には、絶対的支配者としての威厳と、その内側に潜む孤独が同時に宿る。激しく感情を露わにするのではなく、抑制された視線や身体の角度によって、かぐや姫へ惹かれていく帝の人間的揺らぎを繊細に滲ませていたのが印象的だった。

さらに、大臣たちを演じた宮川新大、池本祥真のダンスも見逃せない。東京バレエ団を代表する男性プリンシパルらしく、踊りは圧倒的にダイナミックでありながら、一瞬ごとのポジションに鋭利な“エッジ”が宿る。空間を切り裂くような脚線、床を射抜くようなステップ、群舞の中でも際立つ身体の精度は、宮廷社会に渦巻く欲望と暴力性を鮮烈に可視化していた。

群舞の場面では、男性ダンサー陣の重量感あるエネルギーが舞台全体を押し広げ、金森作品特有の張り詰めた緊張感を支える重要な推進力となっていた。

ドビュッシーが照らす“月”の物語

音楽にはクロード・ドビュッシーの楽曲群が用いられている。
「月の光」をはじめとする印象派の響きは、『かぐや姫』の幻想性と驚くほど親和していた。

公演前に行われたプレトークで金森は、日本人作曲家の作品も多数検討したことを明かしつつ、「結果的に『かぐや姫』に当てて書かれたかのようだった」とドビュッシー音楽への確信を語っていた。

19世紀末、ジャポニスムに惹かれたドビュッシーの音楽が、21世紀、日本人振付家による『かぐや姫』と結びつく。文化的往還もまた、本作の奥行きを豊かなものにしている。今回は録音音源による上演だったが、スケールの大きい作品だけに、いつかオーケストラによる生演奏版も期待したい。

東京文化会館から世界へ

Photo:Shoko Matsuhashi

プレトークで金森は、2026年末のイタリア公演、2027年のパリ・オペラ座ガルニエ宮での全幕公演について、「本当に楽しみ」と語った。東京バレエ団にとって『ザ・カブキ』『M』に続く、三作目の全幕オリジナル海外レパートリーとなる『かぐや姫』。イタリア公演初日は東京バレエ団通算800回目の海外公演という節目にもあたる。

同作品はもはや“日本文化紹介”の枠には収まらない。
極限まで磨き上げられた抽象性と身体言語は、むしろ世界各地の観客それぞれの孤独や記憶を呼び起こすに違いない。

東京文化会館という象徴的空間の区切りとなったこの夜。
『かぐや姫』は、月へ帰るのではなく、世界へ向かって羽ばたいていく――その未来を予感させる舞台だった。

■東京バレエ団「かぐや姫」
全3幕 プロローグ付
THE TOKYO BALLET KAGUYAHIME
Ballet in a prologue and three acts

日程:2026年5月5日(火・祝) 18:30
会場:東京文化会館

音楽:クロード・ドビュッシー
演出・振付・空間デザイン:金森 穣
衣裳デザイン:廣川 玉枝(SOMA DESIGN)
木工:近藤 正樹
映像:遠藤 龍
照明:伊藤 雅一(RYU)、金森 穣
演出助手:井関 佐和子
衣裳製作:武田 園子(Veronique)

かぐや姫:足立真里亜
道児:柄本 弾
翁:岡崎隼也
帝:生方隆之介
影姫:金子仁美
童たち:工 桃子、安西くるみ、井福俊太郎、山下湧吾
大臣たち:宮川新大、池本祥真、安村圭太、後藤健太朗
側室たち:沖香菜子、二瓶加奈子、三雲友里加、中島映理子
秋見:政本絵美
黒衣たち:井福俊太郎、山下湧吾、海田一成、山仁 尚

主催:公益財団法人日本舞台芸術振興会

「かぐや姫」全3幕 プロローグ付 | 東京バレエ団
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