新国立劇場で出会う運命のマノン――小野絢子が魅せた新境地

2025/2026シーズン新国立劇場バレエ団『マノン』が、3月19日、新国立劇場 オペラパレスにて初日を迎えた。振付は英国ドラマティック・バレエの金字塔を築いたケネス・マクミラン、音楽はジュール・マスネ。18世紀フランスの退廃と貧困が交錯する社会を背景に、破滅へと転がり落ちる愛の行方を描く本作は、世界中で上演され続けている傑作である。

今回の上演は、コロナ禍で中断を余儀なくされた2020年以来の再演。英国ロイヤル・バレエ&オペラの制作協力のもと、よりドラマ性を深化させた舞台として披露された。

小野絢子――静謐にして峻厳、舞台を統べるマノン


新国立劇場バレエ団『マノン』小野絢子 撮影:鹿摩隆司

主役マノンを踊った小野絢子は、登場の一瞬で空間の位相を塗り替える。凛とした佇まいは揺るがず、視線を向けたその中心に、舞台全体が自ずと収斂していく。過度な誇張に頼らず、ただ立つ、その「在り方」だけで場を支配する――その圧倒的な存在感こそが、マノンの核であった。

印象的なのは、上半身の精緻なコントロールと、音楽に深く根差した呼吸である。しなやかに流れる腕、わずかな角度の差異で表情を変える背中と胸郭。その一つひとつが、内面の機微を余すところなく掬い上げ、感情が形を得て立ち上がる瞬間を可視化する。そこには「踊る」という行為を超え、感情そのものが空間を満たしていくような密度があった。

第1幕、出会いのパ・ド・ドゥでは、軽やかなアレグロと清冽なアラベスクが、恋に落ちる刹那の無垢と昂揚を透明な輝きとして刻む。しかし第2幕の寝室のパ・ド・ドゥに至ると、その身体は明確な重みを帯び、引き寄せられる力と抗おうとする意志が拮抗する、緊張に満ちた質感へと転じる。この“重さの変容”は、彼女のマノンに倫理と欲望のせめぎ合いを宿らせ、可憐さを超えた抗いがたい引力を備えた存在へと昇華させていた。

終幕では、あえて均衡を手放すことで、生命が静かに擦り切れていく過程を克明に描き出す。リフトの中で次第に力を失っていく身体は、技巧の披露ではなく、「存在」そのものが薄れていくものとして迫る。崩れゆく姿にさえ気高さを宿しながらも、最後の瞬間まで舞台の中心であり続ける――その姿は、観る者の記憶に深く刻み込まれるに違いない。

福岡雄大のデ・グリューとパ・ド・ドゥの完成度


新国立劇場バレエ団『マノン』小野絢子、福岡雄大 撮影:鹿摩隆司

デ・グリューを演じた福岡雄大は、安定した技術と経験に裏打ちされたパートナリングで舞台を支えた。パ・ド・ドゥにおけるリフトやサポートは秀逸で、小野の身体を常に最良の位置へと導き、視覚的にもドラマ的にも完成度の高いデュエットを成立させた。

一方、本作が要求する“破滅へと突き進む青年の内的熱”という点では、解釈の余地も感じさせる。マクミラン作品において重要なのは、技巧と演技の融合ではなく、ステップそのものが感情を語ること。その意味で、本役の深化は今後の上演においても注目されるだろう。

奥村康祐の流麗なるレスコー、木村優里が添えるチャーミングな陰影


新国立劇場バレエ団『マノン』木村優里、奥村康祐 撮影:鹿摩隆司

レスコーを演じた奥村康祐は、舞台に確かな推進力をもたらす充実したダンスで観客を惹きつけた。特筆すべきは、切れ味と滑らかさを兼ね備えた回転技である。連続するピルエットや方向転換の精度は高く、その流麗な軌道は視覚的な快感を生み出し、役柄の自信と狡猾さを雄弁に物語る。妹を利用する冷酷さと、どこか抜けきらない人間的な弱さ――その両義性を、過度な演技に頼ることなく、ステップの質と身体のコントロールによって立体化してみせた。

第2幕の酔漢の踊りでは、酔態のリアリズムとクラシック・バレエの端正さを高い次元で両立。崩れそうで崩れない絶妙なバランスの中でも、回転の軸は決して失われず、その安定感がかえって役のしたたかさを際立たせる。レスコーという存在が、物語のもう一つの軸として機能することを強く印象づけた。

レスコーの愛人を演じた木村優里は、作品に艶やかな陰影を与えながらも、随所にチャーミングな遊び心を忍ばせ、舞台に豊かなニュアンスをもたらした。しなやかな上体の運びに、ほんのわずか音を遅らせる洒脱な音楽性が重なり、役柄に特有の“倦怠と誘惑”を軽やかに立ち上げる。その表現は決して重く沈むことなく、観る者を惹きつける余裕と愛嬌を帯びていた。

第2幕のパ・ド・ドゥでは、挑発的な仕草の中に小気味よいユーモアを織り交ぜ、場面に生き生きとした呼吸を与える。レスコーに絡みつくような振る舞いの中にも、どこか楽しげな駆け引きが見え隠れし、享楽的な女性像の枠にとどまらない奥行きを形成。視線の遊ばせ方や腰のニュアンスには、古典の枠に収まりきらない自由さと、観客をくすりとさせるような魅力が宿っていた。

群像劇としての完成度の高さ


新国立劇場バレエ団『マノン』小野絢子、奥村康祐、中家正博 撮影:鹿摩隆司

ムッシューG.M.の中家正博、マダムの湯川麻美子、看守の小柴富久修らキャラクター陣も、それぞれの役割を的確に担い、作品世界を支える。

物乞いや娼婦たち、紳士たちに至るまで、すべての動きが物語の一部として機能していた。全編がドラマとして緊密に構成されているため、3幕という長さを感じさせない凝縮度を実現している。

ロイヤル・バレエの衣裳がもたらす重厚な世界観


新国立劇場バレエ団『マノン』第2幕より 撮影:鹿摩隆司

本公演では、英国ロイヤル・バレエ&オペラから提供されたニコラス・ジョージアディスの衣裳が使用されている。華やかな装飾とくすんだ色彩の対比は、18世紀社会の階層構造を浮かび上がらせると同時に、マノンという人物の内面の変化をも雄弁に語っていた。

「マノン」が描くのは、純愛の物語ではない。愛と欲望、貧困と富、選択と代償が複雑に絡み合い、人間の弱さを容赦なく暴き出すドラマである。その核心を体現した今回の上演は、カンパニーの成熟と層の厚さを強く印象づけた。

小野絢子を中心に据えながら、多層的な人間関係が浮かび上がった本舞台は、観客にとって“運命のマノン”との出会いとなった。再演を重ねるごとに深化を続ける新国立劇場バレエ団の『マノン』。その新たな地平を示す、記憶に残る初日であった。


新国立劇場バレエ団『マノン』小野絢子、福岡雄大 撮影:鹿摩隆司

■2025/2026シーズン
新国立劇場バレエ団「マノン」
Manon

公演日程:2026年3月19日(木)
会場:新国立劇場 オペラパレス

STAFF

【振付】ケネス・マクミラン
【音楽】ジュール・マスネ
【編曲】マーティン・イェーツ
【美術・衣裳】ニコラス・ジョージアディス
【照明】沢田祐二
【監修】デボラ・マクミラン

CAST

マノン:小野絢子
デ・グリュー:福岡雄大
レスコー:奥村康祐
ムッシューG.M.:中家正博
レスコーの愛人:木村優里
娼家のマダム:湯川麻美子
看守:小柴富久修
物乞いのリーダー:水井駿介
高級娼婦:飯野萌子、直塚美穂、川口藍、金城帆香、根岸祐衣
紳士:小野寺雄、原健太、森本亮介
客:宇賀大将、趙載範、長谷川諒太、太田寛仁、森本晃介
老紳士:内藤博

指揮:マーティン・イェーツ
管弦楽:東京交響楽団

制作協力:英国ロイヤル・バレエ&オペラ
Manon is produced in association with the Royal Ballet and Opera. This production was first seen at the Royal Opera House, London on 7th March 1974.

マノン
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