東京バレエ団が三島由紀夫の人生とその作品をバレエ化した「M」が、2025年9月20日(土)~23日(火・祝)の日程で東京上野の東京文化会館にて上演される。
(C)Kiyonori Hasegawa
巨匠ベジャールが深い感嘆をもって描き出した
Mishimaの世界
(C)Kiyonori Hasegawa
戦後日本を代表する作家、三島由紀夫の人生とその作品が、20世紀バレエ界の巨匠モーリス・ベジャールの演出振付によってバレエになった。ベジャールは1986年東京バレエ団のために歌舞伎の仮名手本忠臣蔵をバレエ化した「ザ・カブキ」を創り、バレエの世界を超えて世間の耳目を集めた。続いて1993年には三島由紀夫という破天荒なテーマに挑み、東京バレエ団のために『M』を創った。
『M』はMishimaの頭文字であるとともに、海(Mer)、変容()、死(Mort)、神秘(Mystère)、神話(Mythologie)といった三島の人生の表象でもある。ベジャールの傑作の一つ『バレエ・フォー・ライフ』は、いずれも45歳で夭折したQUEENのフレディ・マーキュリーとベジャールの愛弟子ジョルジュ・ドンに捧げられているが、『M』はベジャールよりも2歳年上で、同じく45歳で自裁した三島に献じられている。本作には「潮騒」や「金閣寺」、「鏡子の家」「鹿鳴館」、「午後の曳航」の三島の代表作のイメージが次々に現れるから、三島文学のファンも必見だ。
本作は日本国内のみならず、海外でもパリ・オペラ座やミラノ・スカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラなどヨーロッパの名立たる劇場で上演され喝采を浴びてきた。このような独創的な作品が創れるのは、ベジャールをおいて他にいない。三島由紀夫生誕100年は昭和100年でもある。そして、ベジャールも2027年の生誕100年に向けて世界各地で再評価の動きが盛んだ。
『M』の初演を観た文芸評論家の故奥野健男は、「ぼくはホール全体に三島由紀夫の魂がいきいきと蘇るのを、この目で、この耳で確かめた」と評した。生誕100年を機に5年ぶりに再演する今回の『M』によって、現代の観客にも三島の魂にふれてもらいたい。昭和の熱気を感じてほしい。三島はベジャールの『M』に乗って還ってくる。
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モーリス・ベジャールによるプログラムノート
詩人と子供だけが知っている。夢と現実はひとつのものであり、おなじものなのだということを。
詩人はいくつものテクニックを創り出すことによって、未来を築き上げた。それはいずれ自らが用いることになる絵画のテクニックであったり、科学、記述行為、ダンスであったり……。ピカソは偉大なる詩人であった。アインシュタイン、コクトー、ニジンスキー、丹下健三、フェリーニ、そして三島もそうであった。
ここではなにも、伝記をつくりあげようとしたわけではない。ましてやその重要性がよく理解されてないが、本当は説明など要さないある文学作品に対し、ダンスを通じてスポットを当てようとしているわけでもない。
彼の双子の弟や仮面の鏡のごとく、彼自身を裏切ることのないむしろ想像上の三島(Mishima)を描くことならできるのではないだろうか。ちょうど、かつて私がモリエール(Molière)やマルロー(Malraux)を描いたことがあるように……。
青春期は、とかく夢想的になりがちだ。三島が愛読したのはヘルダーリンやゲーテなど、偉大なるドイツ思想であった。ここでは「ファウスト」を取り上げ、作品の最初の場面で引用されている、人間発見の四段階をもとに検討していきたいと思う。
「はじめに言葉ありき
はじめに精神ありき
はじめに力あり
はじめに行動ありき」
三島は、作家活動の初めにおいて、まず言葉、すなわち、記述行為、詩情、修辞、告白体などを、そして言語表現の力を発見したのであった。ついで精神が作品に息吹をもたらすようになり、おのおのの小説、おのおのの戯曲は、さらに思考を深めてゆくことになった。
しかしながら、精神だけの人というのは、人間として半分しか備えていないといえよう。そこで詩人は自分の力を鍛え、筋肉を作りあげ、ニーチェ的な深い意味での肉体と思考を備えることで自らをトータルな存在だと感じるようになる。そして最後の目標は、イデオロギーの、肉体の、政治的で、トータルな意味での行動であろう。それが導いてゆく先はただ一つ、フィナーレしかない。
つまり――死――である。
というわけでわれわれは、4人の主人公像によって、作品全体を4つに区切った。そもそも三島自身が『鏡子の家』において、次にのように述べている。
「主人公をひとりだけにしてしまうことは避けた。4人の主人公を通して、私自身のさまざま面を表現したかったのである」
イチ、ニ、サン、シ!
第5の重要な登場人物は、エロティックであると同時に、完全なる純粋性を備えたシンボル――聖セバスチャンである。その存在は決して到達できない理想であり、不可能な愛であり、美と力の宗教そのものでさえある。彼は、最上の存在であり、天皇の第一射手なのである。
最後に、変容を重ねてゆく女性の登場人物。彼女は、海であり、生命と再生の源である。彼女はまた、母であり、祖母であり、妻であり、そしてまた死でもあるのだ。
つまり、輪廻である。
人と作品は、一つのものである。詩人は自らの作品を生き、そして自らの存在を夢想する。蜘蛛のごとくゆっくりと紡いでゆくのだ。三島の膨大で才気あふれる作品群のうち、次に挙げた作品から想を得たイマージュを、この『M』の中に見いだすことだろう。
――「仮面の告白」
――「禁色」
――「鹿鳴館」
――「鏡子の家」
――「午後の曵航」
――「憂国」
――「行動学入門」
もちろん、彼が生涯の終わりに書いた四部作の傑作『豊饒の海』も忘れてはなるまい。
音楽
音楽を担当したのは、黛敏郎――その人生も作品もそして考え方も、三島の創作と密接に結びついている――である。
4つの音楽的コラージュは西洋文化に心酔していた作家のことを考えるなら、すべて欠かせないものである。
――シュトラウスのワルツ(アントン・ウェーベルン編曲)。「鹿鳴館」で踊られるワルツを彩る。
――クロード・ドビュッシーの「聖セバスチャンの殉教」のファンファーレ。
――エリック・サティのワルツ。サティはラディゲをこよなく愛していた。(『ラディゲの死』)。
―― そして最後に、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から“愛の詩”。三島はこの曲を、映画「憂国」において、主人公の死の際に用いている。
フランスのシャンソン「待ちましょう」には、戦前の数年間を彷彿とさせるところがあり、また、ささやかで感傷的な様式にものっとっている。ニーチェ的哲学および三島哲学の基本である事物の永劫回帰のシンボルともいえよう。
私がこの作品を手掛けたのは、あくまでも仄めかし、喚び起こすことによって何よりも詩人を愛するためである。断じて批評するためではない。
モーリス・ベジャール
(C)Kiyonori Hasegawa
●三島 由紀夫 Yukio Mishima (1925-1970)
小説家、劇作家。本名・平岡公威。1925年東京生まれ。学習院初等科・中等科・高等科を経て、東京大学法学部卒。中等科の頃から本格的に詩や小説を書き始め、16歳で『花ざかりの森』を「三島由紀夫」の筆名で発表。入隊検査で軍医の誤診により即日帰郷となり、戦争中も小説制作を続ける。
戦後、大学を卒業すると大蔵省に入省したが、作家活動に専念するため に退職、1949年に『仮面の告白』を発表した。この作品で小説家として認 められる。以後、『禁色』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『美 しい星』『午後の曳航』『豊饒の海』などの傑作・問題作を次々と発表した。
劇作でも『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などの傑作のほか『椿説弓張月』などの歌舞伎も書き、演劇界に大きく貢献した。 三島の活動や発言は、スポーツ・武道・美術・歴史・思想・映画・サブ カルチャー・写真・防衛問題へと広がり、マスコミの寵児となった。また 海外でも作品が高く評価され、ノーベル文学賞の候補にもなり、その活動 は広く知られた。しかし、1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で 憲法改正を訴え、割腹自殺を遂げた。享年45。
■東京バレエ団
モーリス・ベジャール振付「M」
会場:東京文化会館
公演日程:
9月20日(土) 14:00
9月21日(日) 14:00
9月23日(火祝) 13:00
【配役】
Ⅰ—イチ:柄本 弾 Ⅱ—ニ:宮川 新大 Ⅲ—サン:生方 隆之介 Ⅳ—シ(死):池本 祥真
聖セバスチャン:樋口 祐輝/大塚 卓 女:上野 水香/伝田 陽美 海上の月:金子 仁美/長谷川 琴音
ヴァイオレット:伝田 陽美/榊 優美枝 オレンジ:沖 香菜子/三雲 友里加 ローズ:政本 絵美/二瓶 加奈子
ピアノ:菊池 洋子
●入場料(税込み)
S:¥15,000 A:¥12,000 B:¥9,000 C:¥7,000 D:¥5,000 E:¥3,000
※クラブ・アッサンブレ会員は、S~Eの各席種1割引。 ※未就学児の入場はご遠慮ください。
【一般発売】 5/29(木)10:00より